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インターネットと文章力と役に立つ情報の役に立たない話

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人生の役に立つ名言集 元気でポジティブになれる名言集

 

※今回の文章はどこへも着地しません。

 

最近はイヤホンやヘッドホンの話が少なくて本当に申し訳ない。

お詫びに切れる腹があるなら切りたい、いや腹の贅肉部分だけならすぐにでも切りたい。そんな風に思っています。ほんとに。

 

切腹: 日本人の責任の取り方 (光文社知恵の森文庫)

切腹: 日本人の責任の取り方 (光文社知恵の森文庫)

 

 

今は手元に試聴機があるので、近くイヤホンのレビューを掲載したいと思っておりますので、どうかご勘弁をば。

 

というところで、今日の本題。

 

インターネットって便利ですよね。

インターネットがあるおかげで、道に迷わないし(人生には迷いますが)、美味しいお店も簡単に見つけられます。(But一緒に行く相手はNot Found)

 

では、ここで1つ質問。

インターネットは何でできていると思いますか?

 

この質問、理系の人ならコンピュータの話をするでしょうし、文系の人ならアメリカの大学の話をするかもしれません。

 

この問いに対する私の答えはこうです。

 

インターネットはテキストと画像でできている。(それに自尊心と承認欲求を加えれば完璧)

 

若者の読書離れが叫ばれて久しい中、インターネットを開いてみれば「文字・文字・文字」(あとネコ画像)という有様。

ネット中毒であればあるほど「活字」を目撃することになるわけです。(ネコ画像も!)

 

そう考えればインターネットの主役はまだまだテキスト。画像を掲載するにしても、やはりそれを説明する文字が必要になってきますし、TwitterFacebookもヤフーニュースもみんなみんなテキストだらけです。

 

もちろん、Siriをはじめとした音声技術の進歩も目覚ましいですから、近い将来「音声」が加わるかもしれませんが、それにはまだ少し時間がかかると思っています。音声の完璧な実用性のためには、脳内での直接再生が必要だと思うんですよね。じゃないとそこらじゅうでコンピュータがしゃべりまくってウルサイじゃないですか。

いやでも、脳内再生になっちゃったらイヤホンとかどうなるんだろう。失業だなぁ。

 

閑話休題

何が言いたかったかといえば、人間はインターネットなる超文明を手に入れておきながら、結局は文字を書き続けているということなんです。

文(ふみ)を交わして歌に興じていた平安時代と、根本的には何も変わっていないという。今も昔も、うまいことを言った(歌を詠んだ)人が人気者になる世の中なんです。

 

さぁインターネットの話はおしまい。

「文章力」についての話を。

 

文章というものは実は思った以上に人生に関わってくるものです。

卒論、エントリーシート、企画書、始末書、退職願などなど。

 

できれば後ろの2つは書きたくないものですが、文章力というものは人生を歩む上でとても大切なスキルと言えます。鍛えればそのスキルだけで飯が食える人もいます。

 

ただ不思議なことに、それだけ重要なスキルであるはずの「文章」について、私たちはほとんど教わることがないんですよね。「原稿用紙で正しい作文の書き方」なんてものは習いますが、はたして良い文章とはどんなもので、悪い文章とは何なのか、私たちはその正解を知らされないまま大人になります。

 

いったいどうしたら文章はうまくなるのか?

 

そんな疑問を村上春樹にぶつけた女性がいました。

返答はこうです。

 

文章を書くというのは、女の人を口説くのと一緒で、ある程度は練習でうまくなりますが、基本的にはもって生まれたもので決まります。まあ、とにかくがんばってください。

 

 なるほど!だから私のナンパはうまくいかなかったのか!

 せっかく勉強したのに…ジーザスクライス!もっと早く教えてくれよ春樹!

 

違いますね。大切なのはそこじゃありません。

 

文章は「もって生まれたもの」なのかどうかということです。

結論から言えばその通りでしょう。努力すれば村上春樹を超えられると考える方が不自然です。

だからここで着目すべきは「ある程度は練習でうまくなる」という部分のように思います。いやー、この「ある程度」というのは非常に気になりますね。

 

村上春樹レベルは無理でも西尾維新くらいならいけるよ!ということなのか、はたまた西尾維新くらいも全然無理で、せいぜいタイトルがやたら長い小説を全2巻出せるレベルだよ!ということなのか。村上春樹に今すぐ問いたい。問い詰めたい。

 

その回答次第によっては練習への意気込みが如実に変わりますからね。ライトな小説が限界なら文章を書くなんて辞める人も多いでしょう。桐島、文章やめるってよ。

 

まぁそんな「全国大会で優勝できないから部活はやらない」みたいな根性の人間は、そもそも文章を書くことに向かないように思います。

というか見返りを求めて何かを始めた場合、その先に待っているのは失敗と後悔だと、うちのじっちゃんも言ってました。

 

文章というのは音楽に似てるのかもしれません。

ほとんどが才能に依るものであるにもかかわらず、練習するとある程度うまくなってしまうという。でも、それでは感動に届かないんでしょうね。

村上春樹が言いたかったのはきっとそういうことなんだと思います。

 

インターネットには今日も「役に立つ」情報が溢れかえっています。

でも、役に立つ情報って誰も覚えてないんですよね。だって覚えなくたってまた検索すれば良いんですから。

 

1ヶ月前に読んだニュース、拡散したつぶやき、いいね!した投稿。

私はどれも覚えていないです。

 

そういう意味では誰もが忘却探偵・掟上今日子なのかもしれません。

 

「僕らには今日しかない」

 

そんな氾濫と忘却のインターネットの片隅で、こんな役に立たない文章を読んでくれる読者諸兄に心から感謝します。

 

いつもありがとう。

 

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